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涼宮さんとキョン子さん
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雨季のシーズンにはまだ早いというのに、
慌てんぼうな雨雲さんが草花に水やりをしていたある日のこと。
太陽よりも正確に変わらない動きで、
ニヤケ面を絶やさぬエスパー少年と将棋をしていた俺の耳に、
休日の朝に鳴ってしまった目覚まし時計よりも騒がしい足音が響く。
「あ、涼宮さんかな?」
給仕スタイルを本職よりも完璧に着こなしながら、
美麗という文字よりも麗しい未来人女性がドアの方を向く。
他人より少しばかりのんびりしているこの方でも分かるくらい、
あの迷惑娘の足音はうるさいということか。
そう呆れながらも釣られて扉の方に顔を上げようとした俺の視界の隅で、
メイドガイテイマー並にドジっ娘なメイドがお茶を溢しても、
けして動じない文学少女が、その端正に静謐な顔を上げていた。
「……」
「どうかしたか、長門?」
「足音が一つ多い」
俺の質問にホラーめいた返事が返ってくる。
おいおい、いつの間にうちの団長様にオヤシロ様が憑いたんだ?
頼むからこれ以上手に負えないような状況は困るぞ?
「確かに、涼宮さんの他にもう一人別の足音が聞こえますね」
お前はまず自陣の無防備なキングに忍び寄る、
一般兵士の足音を気に掛けるべきじゃないのか?
このままお前の軍隊を蹂躙し続けてもいいけどな。
しかし、確かにこの無能軍師の言うとおり、
こちらに向かうやたら自己主張の激しい足音の他に、
かすかにもう一つ別の足音が聞こえてくる。
大きさやテンポから察するに女性の様だが……
「なぁ、長門」
「なに?」
「また喜緑さんみたいな依頼人が来るのか?」
「それは無い。少なくともこの足音の人物は、
自発的にこの部屋に向かう様子ではない」
つまり、ハルヒに無理やり引っ張られているわけか……
いい加減あいつは他人のエスコートの仕方を学ぶべきだと思うぞ。
「古泉は?お前の仲間か?」
「今のところ、機関からそのような連絡は受けていませんね。
機関が僕に何も告げずにサプライズをするようなことは考えられません。
ですから、今回は無関係かと」
「お前が嘘をついてなけりゃな」
「これは手厳しい」
一ミリもそんなこと思ってないだろ。
まぁ、いい。お前から長門以上に有益な情報を得られるとは思っていない。
「朝比奈さんは……聞くまでも無いですね」
「ふぇ!?な、なななんでわたしだけ聞かないんですか?」
「じゃあ、朝比奈さんの仲間ですか」
「それは、ち、違うと思うけど……」
えぇ、俺もそう思います。
あなたが何かしらを企てる側に回るとは思えませんし。
「もしや、あなたの関係者では?」
「冗談を言うな。俺の身の回りに、
自らこんなカオスフィールドに入るような奴はいない」
「それもそうですね。それに、この足音はおそらく女性。
SOS団関係者以外の女性の知り合いがそう多くないあなたに、
こんな所に来る知人がいるとは考えづらいでしょう」
「気が変わった。お前の王様を今すぐ血祭りに上げてやろう」
とりあえず、ここにいる人間の関係者じゃないんだ。
この名無しのジェーンさんは宇宙人、未来人、超能力者、
およびその仲間ではないのだから、
ハルヒが気まぐれで連れてきた一般人だろう。
それならば、面倒なことになる可能性は少ない。
なんせ、あいつは宇宙人、未来人、超能力者、異世界人にしか興味が……
……異世界人?
ふと、記憶の中から浮かび上がってきたフレーズが、
目の前で自軍の王が公開処刑された超能力者の言葉とともに、
俺の脳裏にこの足音の人物の像を浮かび上がらせていく。
俺の関係者……異世界人……女……
そうして、ニート生活を満喫する俺の灰色の脳みそが、
一人の少女の姿を思い描くより早く、
団室のドアがけたたましい叫びとともに開け放たれた……
「やっほー!みんな、今日はお客さんを連れてきたわよ!!」
外の天気などお構いなしに輝かしい笑顔でそう宣言する少女の横には、
見覚えのあるポニーテールの少女が気まずそうな顔で立っていた……
「あれ?どうしたの皆ぽかんとしちゃって?
折角のお客さんなんだからもっと笑顔にならないと。
ほら、みくるちゃん。お茶淹れてあげて」
「あ、は、はい」
ハルヒの鶴の一声で慌てて茶器を手に取る朝比奈さん。
ここまで慌てながらも湯呑みを落とさないなんて……
この未来人も成長したというわけか。
などと、現実逃避をしている場合じゃないぞ、俺!
「なぁ、ハルヒ」
「なによ、キョン」
「そちらの、その……女子生徒は一体?」
「あ、この娘?そういえば、自己紹介がまだだったわね」
あいにくだが、お前を除くSOS団の全員が、
そのポニーテールの少女が誰だか知っている。
というか、お前だってその少女の男ver.とほぼ毎日会ってるんだぞ?
しかし、そんな事実もお構いなしに、
太陽娘は傍らで心配そうに朝比奈さんに視線を送る少女に声をかける。
「ねぇ、名前とクラスだけでいいから教えてくれない?
あぁ、あたしは涼宮ハルヒね」
自分は名前だけしか教えていないのに、
相手にはクラスまで情報提供せよ、という理不尽団長。
「え、名前?えーと……山田、花子……です。
クラスは、3組……」
もっとマシな偽名があるだろう!!
そんな元レスラーの女芸人の様な偽名を使うのは、
年齢も考えずにセーラー服を着ちゃうメイド忍者くらいだぞ。
「ふーん、随分と普通な名前なのね。
小鳥遊とか早乙女みたいな感じかと思ったんだけど……」
そんな女装をすれば完璧な女の子になるコトリちゃんとか、
お湯をかけたら女になりそうな格闘家の名前を想像されても困る。
そんな表情をしながら、山田(仮)は口を開く。
「あ、あの……あたし、どうしてここに連れてこられたの?」
その台詞は甲斐甲斐しくお茶を提供している未来人が、
初めて俺と会った時に口にしたような気がする。
まぁ、あの時はもっと可愛らしい感じで照れるように言っていたが。
「おい、ハルヒ。またお前は人を無理やり拉致しt」
「そんなの決まってるじゃない」
人の話を聞け。
「なによ。今質問したのはあんたじゃないでしょ?」
今喋っていたのは俺だぞ。
などと抗議する俺の声を無視して、
ハルヒは女版の俺の方に100ワットの笑顔を向けた。
「あなたさっき隣のクラスで有希を探してたじゃない?
だからこうして連れてきてあげたわけ」
それなんてお節介?
「そ、そう。ありがと」
もはや苦笑いとしか思えない笑顔で答える性反対の俺に、
お節介女は笑顔で言葉を続ける。
「それで、有希に何の用だったのかしら?
それとSOS団員に言伝がある場合は団長たるあたしを通してほしいわね」
いつからそんなプライバシー完全無視の内部統制が構築されたんだ?
というか、なぜ俺たちがお前に管理されるような扱いを受けねばならんのだ。
心の中で文句を言う俺をよそに、
困ったような表情でもう一人の俺は話し出した。
「え、えーと、長門……さんに用があったのはあったんだけど……」
「だけど?」
「その……えと……」
ちらちらとこちらを見られてもな……
とはいえ、このまま放置して事態が改善するとは思えん。
「おい、ハルヒ。お前が変なことを言うからその娘が困ってるじゃないか」
「変なことって何よ?有希に何の用か、って聞いてるだけじゃない」
「それが変なことだって言ってるんだよ。
人様のプライベートなことに首を突っ込むんじゃない。
ここはこの娘と長門を二人きりにしてだな……」
「なによ、あたしに聞かれちゃマズイことでもあるのかしら?」
そうだな、その少女が俺が女になった姿だということや、
その少女が別の世界から来たということなど、
聞かれてはまずいことだらけだ。
などと、正直に言うわけにはいかず、
さりとて何とかハルヒを説得させて、この娘から引き返さなければ、
後々大変なことになることは火を見るより明らかなことであって……
そんな風に妙案が浮かばず焦る俺ともう一人の俺に、
先ほどからニヤケ二割引きの副団長が助け船を出した。
「涼宮さん、少し宜しいでしょうか?」
「なに、古泉君?」
「僕も彼の言う通り、彼女は長門さんに何か重要なお話があると思います。
そうでなければ、他クラスの女子生徒に放課後になってから、
わざわざ会いに行くとは考えにくいですしね」
「それはそうでしょうね。でも、その重要な話が、
SOS団の団長にも言えないような話なのかしら?」
どう見ても言えたものではありません。本当にありがとうございました。
「涼宮さんに言える言えない、という類の話ではなく、
あまり人に聞かれたくない類の話なのではないかと」
「どういうこと?」
疑問符を頭に浮かべるハルヒに、
古泉は突然訳の分からないセリフを口にした。
「ところで涼宮さん。話は変わってしまうのですが、
今日通学路に美しい百合の花が咲いていたのをご存じですか?」
「は?」
あまりの唐突さに、その場にいた彫刻よりも不変の表情を持つ宇宙人以外、
全員が呆然とした顔をする。
一体こいつは何が言いたいんだ?
その気持ちを代弁するかのようにハルヒがゆっくり口を開く。
「あのね、古泉君。話題を変えるならもう少しうまくやらないと。
そもそも今の時期に百合の花……ッ!!」
何故か途中で言葉を区切ると、
ハルヒは驚愕の表情とともに長門と女の俺の方を交互に見た。
「え、百合……え、えぇ!?でででも」
どうした、ずいぶん顔が赤いが熱でも出たのか。
頼むからこれ以上北極の氷を溶かしてクマの生息地を狭めないでくれ。
「なんだ?どこか悪いのか?」
「い、いや、悪くはないわよ?そう、人の好みも何とかって言うし……」
お前は何を言っているんだ?
とりあえず落ち着いて顔を元の色に戻してくれ。
何だか部屋の中が熱くなったような気がするしな。
そんな俺の苦情やハルヒの熱気にも涼しい顔で、
古泉はいつもの営業マン顔負けのスマイルで言った。
「それで、いかがいたしますか、涼宮さん?」
「そ、そうね……あたしたちは邪魔みたいだから、出ましょうか」
答えるや否や俺の首をリンゴすら潰せそうなほど強く握りしめ、
朝比奈さんと古泉に退室を促すハルヒ。
「おい、ハルヒ!?」
「うるさい!いいから黙って出て行くわよ!」
この暴君娘が自らの領土たる部屋を明け渡すなんて珍しいこともあるもんだ。
それにしてもどんな心変わりだ?さっきまで興味津々な様子だったのに、
急に席を外すとは……
そう訝しむ俺を引きずりながら部屋を出たハルヒは、
ドアを閉める間際に中に残った二人に小さな声でこう言った。
「ご、ごゆっくり……」
もう一人の俺が無事に元の世界に戻ったのと、
しばらく長門を見るハルヒの目が少し変わったのはまた別の話…… |
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