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ハルキョンズカクテル
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いつだったか、ハルヒがバーに行きたいと言っていたことがある。
その時、俺はさすがにアルコールは不味かろうということでそれを諦めさせた。
正直に言って、高二ではそんなところに出入りできるとも思わなかったしな。
だが俺もハルヒももう二十歳になった。法的にはアルコールを摂取しようとも何の問題もない年齢である。ということで俺はハルヒをカクテルバーに連れ出す算段を立てた。無論ハルヒには内緒でだ。
「ハルヒ、ちょっといいか?」
「なによ、今朝食作ってるんだけど? あんた美味しい朝食を作るのにどれほど技術と手間がいると思ってんの」
エプロン姿のハルヒが包丁片手に振りかえった。やや眉が吊り上っているが本当に怒っているわけではないことは明白だ。ネコがじゃれつくようなものだろう。
「今夜、カクテルバーに軽く飲みに行かないか?」
「カクテルバー? ……あんた、もしかしてあたしが前に言ってたことまだ覚えてたの?」
キッチンからハルヒがエプロンで手を拭きながら出てくる。小さな呆れと柔らかい笑みを浮かべながらそう言った。そう、こいつはもうこんな風に笑えるようになったんだ。
「約束したからな。……もう少し驚いてくれるかと思ったんだが」
「驚いてるわよ。それに……嬉しい」
子供のように、無邪気に笑った。
――ああ、俺はきっとハルヒのこの笑顔に惚れちまったんだろうな。
「? どうしたのキョン、馬鹿見たいにほけーっとしちゃって」
「あ、いや。…で、予定とかないよな?」
「ないわよ。だっていっつもキョンと一緒にいるじゃない。ほかの誰かと予定組んだことあたし今まであった? ないでしょ」
カラカラとハルヒは笑った。
「ああ、そうだな。スマン」
もしかすると俺は緊張してるのかもしれない。
「ふふ。でもカクテルバーかぁ、どんなのかしらね。楽しみだわ」
ハルヒの絶大なる好奇心がむくむくと湧き上がっているのが見て取れる。
こういうところは全然変わってないんだよな。
カクテルバーといっても無論、行きつけの店だとかそんなものではない。
というかそもそもバーに入ったことすらなかったのである。
そこで古泉の御登場というわけだ。しばらくご無沙汰ではあったもののヤツは相変わらずのエセスマイル――といっても最初に会った頃よりはまったく自然な笑み――を浮かべ俺との再会を祝した。
なぜわざわざ会う必要があったのか、などという無粋な質問は無しにしていただきたい。
旧友との再会がどれだけ喜ばしいことであるかは、誰だって知っているだろうからな。
古泉は俺やハルヒとは別の大学に進学した。機関とやらは、現在ハルヒのことを静観するのみとなり、介入することはまずありえないとのことだ。実に賢明な判断である。
朝比奈さんはもといた世界に帰ってしまった。だか、以前に比べて規制は緩くなったらしく暇を見てこの時代に来ることはできると言っていた。
それにそう遠くない未来、いや過去で俺は朝比奈さんに会うことになるのだろう。
以前にも増してグラマラスになった朝比奈さんに。
長門は小説家として頑張っているらしい。なんでも情報統合思念体によるトンデモSFパワーはほとんど使えなくなったそうだ。
著作を教えてくれと訊ねたら、「駄目」と一言だけ言い、頑として教えてくれようとはしなかった。PNも分からないのでお手上げだった。
「お久しぶりです。仔細ないようで安心しました」
「どうにかな。ともかく久方ぶりの再開だ。どこか落ち着ける場所で話を…」
「それなら、予約を取っておきました。件のカクテルバーのをね」
「相変わらずそつがないな。まったくお見逸れするぜ」
どうやらそのバーとやらは、駅前から歩いていけるところにあるそうだ。
よって現在は徒歩で移動中である。
にしても男二人でカクテルバーってのはどうなんだ?
「おや、僕ではご不満ですか?」
「そういうセリフは、可愛らしい女の子やら美人なお姉さんにでも言ってやれ。大層喜ばれることだろうよ」
「ふふ、そうするとしましょう。ところで涼宮さんとはどうです?」
「どうです、では分からんな」
そう答えると古泉はなにがおかしいのか噴き出した。
「いや、失礼しました。ですがあなたがあまりに変わっていないのでね」
「本格的に失礼なヤツだな。謝るついでにケンカを売ってるように聞こえるぜ」
「それで実際のところはどうなんです? なんでも同棲しておられると耳にしたのですが」
「ノーコメントだ」
「そうですか。それは残念」
残念ってのは顔に微笑を浮かべて口にする言葉じゃないぞ、古泉。
たどり着いたそのカクテルバーとやらはオシャレさを感じさせながらも、どこか落ち着ける内装だった。どうやら二十歳くらいの人間にはなかなかの人気があるようで、若い客が店の席の大半を占めていた。
「ほう……」
「どうです、なかなか悪くない雰囲気でしょう? なんでも客が入り易くまたここに来たいと思わせる内装にしてあるそうです」
こういう店はカウンターに着いて、カクテルなり何なりを飲むものだと勝手に思っていたが、どうやらテーブルで注文を取りつけ、飲むこともできるようだ。
このあと俺は古泉によるハルヒとの関係に対する探りを避けつつも入念に計画について話し合った。
「それじゃ、行くわよっ!」
「ま、てハルヒ引っ張るな! 転ぶっての」
栄養剤のCMに出れば即座に売り上げが伸びるであろう快活さに満ち溢れた笑顔に見惚れながら、とりあえずハルヒを落ち着かせる。
「ったく、大体ワンピース姿のいかにもお嬢様然とした格好で走り回るんじゃありません!」
「ねえねえ、どんなとこなのよ? あたしのお眼鏡に適うところなんでしょうね!」
聞いちゃいねえし
「ほら、行くぞ」
引っ張られていた手を握り返すと、俺は歩きだした。
「あ、うん…」
自分から握るのは何とも思わなくとも、俺から握られると恥ずかしいのかハルヒは顔をやや赤くしてうなずいた。
まったく反則だ、そんな表情まともに見られる訳がない。
「へえ~、キョンにしちゃいい感じのお店見つけたじゃない!」
「できれば前半部を取り除いて言って貰いたかったんだがな」
実際ここを紹介してくれたのは古泉なわけだが。
テーブルに着くことを主張した俺だが、ハルヒの独裁政権下では俺の発言などアト王に対するセキシュウサイの諌止に等しく、結果としてカウンターに着くことになった。
「けっこういろんな種類があるのね。キョンはどれにするのよ?」
「ん、俺はサイドカーにしとく。ハルヒは?」
味、値段、アルコール成分ともに無難な線のカクテルにしておく。
「んん、スクリュードライバー……あ、でもモスコミュールも美味しそうかもしんないわ」
「………待てハルヒ」
どちらもかなり『強い』カクテルである。こいつ、名前で選んでやがるな。
「お前はこのフローズン・マルガリータってのにしとけ」
「なんでよ?」
「なんでもだ」
首を傾げながらもハルヒは割合あっさりと俺の言うことを聞いた。
「ん、美味しい…ジュースみたいよコレ! キョンも飲む?」
「いや、丁重にお断りする」
こいつは店中の男どもの視線に気付かんのだろうか。どいつもこいつも俺に恨みがましい目を向けてやがる。そしてハルヒの笑顔に見惚れている。
「遠慮することないのよ? キョンの払いなんだから」
どうやら悪しき慣習はまだなくなってはいないらしい。まあもともと俺が払うつもりだったのだが。
その後、ハルヒは自分のカクテルを飲み干し、さらにはハルヒより遅れて出された俺のサイドカーを奪って口をつけたり、新しいカクテルを注文したりとこのうえなく愉快そうに暴れまわった。
「飲み過ぎだっつうの! だから止めたろうが」
「うぅ~、だってジュースみたいに甘かったから大丈夫かなって…」
現在、俺はハルヒをおんぶして帰宅中である。……笑え
「ああいうのは後から効いて来るんだよ」
「わかったわよぅ…んん~」
なんだか満足げな声とともに俺の背にしがみついてくる。
コアラかお前は。ちなみにコアラの握力は一tほどもある。
そして少なくともそれくらいの力でしがみついていることは間違いのない事実のようである。よって俺はハルヒを引き剥がそうとはしなかった。
いろいろな意味で無駄な行為だからな。
「ん。キョ~ン~~」
「のわっ!? 頬擦りするな!」
いきなり俺の首筋に頬擦りを仕掛けるハルヒ。
「いいじゃない減るわけじゃないんだからさぁ。…はむ」
「減るんだよ精神的に! ってこら、耳を噛むな耳を!」
酔っていた。ハルヒは今やそこらの酔っ払いと同じように俺にセクハラ行為を働いていた。手に負えない人間がさらに手に負えなくなってどうする…。
「あはぁ、キョン…んっ、あむ。れろ」
耳を甘噛みするに留まらず、耳に舌を這わせたり、首筋や頬に何度もくちづけをしたりと、もはやどうともならない自然災害を前にした一農夫のような心境で俺はこのハルヒの攻撃に耐え続けた。
「ね、キョン……」
「…なんだ?」
急にトーンが落ちて静かになった声に、俺はハルヒが飲み過ぎで気分を悪くしたのかと思った。しかし、そうではなかった。
「ありがとね…今日のこと」
「……ああ、どうやらたっぷり楽しんで貰えたみたいでなによりだ」
きゅっ、とハルヒがしがみつく力を増した。しかし、力強くではなくただ包み込むような、ハルヒの温かさが俺に流れ込んでくるような、そんな感じだった。
「ね、キョン……」
「…なんだ?」
俺はただその温かさを感じていられれば良かった。それだけで俺はきっと世界の果てまでだって行ける。もちろんハルヒと一緒に、であるが。
「……大好き」
「……ああ、俺もだ。ハルヒのこと、誰が離せって言っても絶対に手放してやるつもりはない」
「うん…」
きっとハルヒも俺も今頃になってアルコールが効いてきたんじゃないだろうか。
だって、俺もハルヒもこんなにも真っ赤な顔をしてるんだから。
しばらくは「また飲みに行くわよっ、キョン!」と息巻いていたが、おそらく騒ぎ疲れとアルコールによって数分後には俺に負ぶさったまま、くぅくぅと寝息を立てていた。
「まったく、うちのお姫様は……」
苦笑しながら、だけど俺はやさしく笑っているのだろう。
思えば、俺は何年も前から酔っ払っていたのかもしれない。
涼宮ハルヒという、強烈なカクテルに。 |
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