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ジュニア
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いつもなら頬杖でもついて窓の外を眺めているハルヒが、今日は朝から組んだ上に顔を伏せている。
なんだ具合でも悪いのか?
「健康といえば健康、だからこそ気分が悪いといえば悪いのよ‥‥」
と、億劫そうに返事をする。なんだそりゃ、何かの謎かけか?
「女にはいろいろ事情があるってこと‥‥」
なるほど、それは‥‥ご苦労なこった。
「まったく、女に生まれたからってなんでこうしょっちゅうこんな思いをしなきゃいけないのよ。
だいたい一年近くも辛い思いをして、最後に死ぬほど痛い目にあいつつ子供を産むのが、
女だけの役目なんて不公平じゃない‥‥」
おまえでも将来は子供を産みたいと思ってるのか?
「さーね。自分の子供を持ってみたいって気持ちは分かるけど、
そんな辛い思いまでして誰かの子供を産みたいって気持ちは、
今のあたしにはわからないわ」
まぁ、恋愛対象が宇宙人だの未来人だの超能力者だのと言っているおまえには縁のない話なんじゃないか。
「だって、普通の人じゃつまらないじゃない!」
まぁ、「奥様は魔女」なんて人気ドラマがあるくらいだから、そんな気持ちも
少しは分からなくもないけどな。
「あんたは男だからいいわよ、相手が魔女だってなんだって、子供を産むのは女なんだから」
誤解するな、俺の恋愛対象は魔女でも宇宙人でもない普通の人間の女性だ(一応)。
「同じことじゃない! バカ‥‥」
その日、ハルヒは体調不良を理由に放課後はすぐに帰宅した。
一応、部室を覗いてみようかと向かう途中、古泉とであった。
「すいません、今日は例のバイトがあるので、今日はSOS団の活動は休みます。
涼宮さんにはそう伝えておいてください」
古泉はいつものにやけ顔にやや苦味を加えて。
ハルヒなら帰ったよ。ところでお前、今日のバイトは‥‥定例的なものだったりしないか?
「‥‥えぇ、まぁ。なにか涼宮さんと話したんですか?」
まあ、その‥‥子供を産むのが女だけなんて不公平だとさ。
お前もご苦労なこったな、男なのに女の事情に振り回されて。
「こればっかりはしょうがないことですから‥‥」
諦め交じりの笑みを浮かべながら言うと、それではと古泉は立ち去った。
次の日もハルヒが気分が優れないようだった。
俺は男だから知る由もないが、アレは初日よりも二日目のほうが辛いと聞いたことがる、というわけで触らぬ神に祟りなしとばかりに、おはようとだけ声を掛けると、後はいつものように話しかけずに方って置いた。
すると後ろから、呪い憑こうとする悪霊のような恨みがましい声で、ハルヒが何かを言ってきた。
「あたし決めたわ、男でも子供が産めるような技術が開発されるまで、
絶対に子供は作らない! どっちが産むかはダンナとじゃんけんで
決めて負けたほうが産むようにする。どう考えても不公平よこんなの‥‥!
ううぅぅぅ‥‥‥」
それじゃまるで何かの罰ゲームだな‥‥。
「うるさい!」
独り言のようにつぶやいたつもりだったが、ハルヒの地獄耳に届いてしまったらしい。おもいっきりグーで背中を叩かれた。
痛ってーな、八つ当たりはよせ。
別教室での授業を受けて次の教室への移動中に古泉にあった、その顔はいつもの爽やかスマイルだったが、若干の疲労を隠し切れない様子だ。
よう、昨日のバイトはどうだった? と声を掛ける。
「いつものことなんですが、昨日のはいつもより規模が大きいものでしたよ‥‥。
いったい涼宮さんと何を話したんです?」
別段、俺がハルヒを不機嫌にさせる話をしたわけではないので、濡れ衣を掛けられた気がしたが、昨日と今日の朝にハルヒが不機嫌に言っていたこと、というか愚痴だが、を俺は古泉に伝えた。
「なるほど、つまり涼宮さんは、将来子供を持ってみたいという希望があると同時に、
出産に対する不安も強く、その板ばさみに悩むと同時に、そんな苦痛がと悩みを
抱えるのが女性だけであるということに憤りを感じているわけですね」
無駄に解説口調でしゃべる奴だ。
「涼宮さんらしからぬ、若い女性なら誰もが一度は思いそうな悩みですね。
でもそんな悩みも涼宮さんがするとなるといささか厄介ですよ」
なぜだ? どういうふうに?
「涼宮さんは、男も女性同様に生理や産みの苦しみを味わうべきだと
おっしゃっていたそうですね‥‥」
まさか‥‥。
「そのまさかが、ありえるということですよ、涼宮さんの場合」
どうすりゃいいんだ?
「わが『機関』も全力で対策を練りましょう、取り返しのつなかないことになる前に。
あなたも覚悟しておいたほうがいいですよ、当事者なんですから」
はぁ? ホワイ?
「涼宮さんが、自分は将来絶対子供を作らないと心に決めているなら、
こんなに悩んだりはしないでしょう。なのに悩んでいるのは、将来的に
子供を作りたいと思わせるかも知れない存在が身近にいるからでしょう」
みなまで言うなと言いたい所だったが、思わず絶句してしまった。
「涼宮さんもあれで常識的な方だから、男性なのに子供が埋めるという特権は、
世界中の全ての男性ではなく、将来の伴侶になるただ一人に与えられるかもしれませんね、案外光栄では?」
古泉は冗談ぽく言ってくっくと笑ったが、俺は正直血の気が引いた。
いやマジで冗談じゃない。どうすりゃいいんだ‥‥。
放課後、今日もハルヒは部室に寄らずに帰るつもりらしいので、俺も一緒に帰ることにした。なんとかしてハルヒの考えを改めさせないと、男女の理が危ない、しかしどうするべきか。
「なぁ、ハルヒ」と並んで歩くハルヒに声を掛けた。
「お前、親に自分が生まれたときのこと聞いたことあるか?」
「あるわ。親父はあたしが生まれるとき、分娩室まで付き添ったけど、
途中で気を失っちゃたらしいわ。情けない話よね‥‥。
それがどうかしたの?」
「そうか‥‥。俺の親父は俺が生まれるとき、仕事を早く切り上げさせて
もらって、病院に駆け込んで分娩室の前で待ったそうだ。
分娩室からお袋の悲鳴が聞こえて、1秒が数時間にも思えるほどだったそうだ。
一番大事な人が、大事な自分たちの子供を産むために
必死になっているのに、自分の無力感に苛まれたそうだ。
妹が生まれるときは俺も病院に行ったんだけど、お袋がお袋のものとは
思えないような声で絶叫を繰り返すのが聞こえてな、死んじゃうんじゃないかと
本気で心配したぜ」
その話をどう思っているのかわからないが、ハルヒは大人しく聞いていた。
「母親ってのは偉大だと思うぜ。新しい生命を生み出すっていう神聖な営みの前に、
男ってのはこの上なく無力で矮小なんだと思う。それに苦しい反面、子供を
産んだときの喜びや幸せも男親には得られないもんなんじゃないかな」
ハルヒは不気味なぐらい静かに聞き続けている、というかちゃんと聞いているのだろうか?
「だからさ、そんななにかの罰ゲームみたいに言うなよ。男にはない特権を与えられている
と思えばいいじゃないか」
言い終えた後もしばらく無反応で、本当に聞いてないじゃないかと思ったが、
「あんた、そんなことを言うためにわざわざあたしに付き添ったわけ?
女のこの苦しみも知らないでよく言うわ、男の理屈よそんなの」
無駄な説得だったか‥‥、やれやれ次はどしたものか。
「それよりあんた、どうせこの後ヒマでしょ? カラオケ行かない?」
おまえ、身体の調子は大丈夫なのか?
「歌を歌うぐらい平気よ、っていうか大声で思いっきり歌ってうさ晴らししたい気分なの!
といってもあたしカラオケって行ったことないのよね~、何を歌おうかしら‥‥」
そういうとハルヒは俺がこの後ヒマかどうかも聞かずにカラオケボックスに引っ張り込んだ。
カラオケボックスはハルヒの独壇場だった。ハルヒは中学時代になんどかカラオケに行ったことがある俺に、自分が歌いたい曲の番号を数曲入れさせると、マイクを取って歌い始めた。
俺は聴き役兼拍子取りに徹した、何をやっても人並み以上のハルヒは歌も上手く、ただで聴くのがもったいないような歌声を披露した。本当にうさ晴らしであるように、何もかも忘れて歌うような、荒々しい歌声だったが。
縦続けに3曲歌い終えたハルヒに、少し休んだらどうだと声を掛けようとすると、ハルヒは虚ろな目をしてその場にへたり込んだ。
あわてて近寄りハルヒの肩を抱く、どうやら貧血を起こしたらしい。無茶しやがって。
ハルヒをソファーに連れて行って横にさせようとすると、
「あ、このままがいい‥‥」
そういって俺に肩を抱かれたまま俺に身をもたげてきた。
上気しながら満足そうな顔を浮かべる。
しばらくそうやって息を整えていると、やがて表情を憂いの混じったものへと変化させて喋りはじめた。
「あたしね、たまに凄く自分がいやになることがあるの。宇宙人や未来人とかそんなのなんている分けないのに、何をやっているんだろうって」
お前でもそんなふうに考えることがあるのか、それは驚きだな。
「あたしのなかにもう一人の自分がいてね、不思議なことなんてそうそうあるもんじゃない、
普通なことに満足しろって言うのよ」
そう言うとハルヒは下唇をぎゅっと噛み締めて、手に力を込めた。
「でも怖いのよ、普通っていうのが‥‥。あたしなんて世界全体から見れば、
いてもいなくても同じようなちっぽけな存在だって認めるみたいで‥‥!」
「なに馬鹿なこと言ってるんだ、例えお前が普通でちっぽけな存在だとしたって、
いてもいなくても同じなわけがあるかよ」
ハルヒは無言で俺の顔を見つめてきた。ヤバイ、この状況はなんかヤバイ。
目線を外したいが、なにか呪文に掛けられたように外すことができない。
するのかしちまうのかこのまま、しかしあの時とは状況が全然違うぞ。
あれをハルヒは夢だと思っているが、この状況でしちまったら‥‥。
などと内心しどろもどろしていると、ハルヒが顔を急接近させ、そして、唇を重ねてきた。いったいどれだけそうしていただろうか、実際には数秒のはずだが、何分にも何時間にも感じた。ハルヒは顔を離すと何も言わずに身体を横にし、俺の膝を枕にして休み始めた。何なんだいったい‥‥。俺は全身の力が抜けて、ソファーに背中をもたげかかった。
その後ハルヒも俺も一曲も歌わずに、時間いっぱいまでハルヒは身体を休めた。
会計を済ませ(ハルヒが財布を出すそぶりも見せないので俺のおごりになった)、分かれるときにじゃあなといっただけで終始無言だった、今度は俺のほうがあれは夢じゃなかったのかと思うような出来事だった。
家に着くと携帯にハルヒからメールが届いていた。
自転車に乗っている間に着信があったらしい。
From:ハルヒ
To:キョン
Sub:今日のことは忘れなさい!
さっきはあたしもどうかしてたわ。
誰かに言ったりしたら死刑じゃ済まされないんだからね!!
いいこと、今日は何もなかったんだからね!
了 |
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