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雨宿り
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ある雨の日の午後。
客も疎らな喫茶店内のテーブルで、空になったコーヒーカップをくるくる回しながら、俺は真向かいの席に腰掛けた美しい女性――惚気ているようなのは重々承知しており恐縮だが、俺の最愛の妻である――が、窓の外を見ているその横顔を眺めていた。
「ちょっと明るくなってきたわね。もう少し待ってたら、雨――止むんじゃないかしら。でも、ちょっと勿体無いかな」
彼女はそう呟きながら、遠い目をしていた。
外の景色を見ているようでそうではない。こいつの全銀河の星を集めたかのように輝く瞳は、いつだってもっと遠くを見ているのだ。
「どうしたんだ。何か考え事か?」
俺の声に彼女は、その非の打ち所の無いポニーテールを揺らしてこちらを振り向いた。今日の髪型は、何を隠そう、俺からの「なあ、久しぶりにポニーテールにしてみないか?」というリクエストだったのだ。
「別に。ただ、『あんた』が出掛けに妙なこと言うもんだから――ちょっと、昔を思い出してただけよ」
そういって俺に微笑みかける。『あんた』か。お前の俺に対する二人称は出会ってから籍を入れるまでずっとそうだったな。それ以前に、お前からマトモに名前で呼んでもらった記憶が無いんだけどな。
「昔って、高校の頃のことか?」
「そうね。――考えてみれば、あんたに出会ってから全てが変わったのよね、あたしの人生、ううん、世界といってもいいわね。……なんだか、すごく懐かしいわ」
それは俺のセリフだぜ。世の中の全てが色褪せて見えたあの頃、俺の視界に色彩を取り戻してくれたのは、お前の笑顔だったんだからな。
「でも、ほんとバカよね、あたしたちって。あれだけ毎日顔を付きあわせていながら、お互いの気持ちに気付いたのって、相当時間が経ってからだったじゃない」
ああ、全くだ。そういう意味では、俺とお前は似たもの同士だったんだろうな。
結局、俺たちがいわゆる恋人として付き合うようになったのは、大学に進んでからだったのだ。
ちなみに、知り合って早々に長かった麗しの黒髪をバッサリ切ってしまったこいつだったのだが、付き合うようになってからの俺の涙ぐましい進言により当初の長さへと復活した御髪は、今もこうして俺の目を楽しませてくれている。
「でも、こうしてると、どうしても思い出してしまうわよね。――今日も結局、降られちゃったし」
何の力が作用したのか、俺たちの知るところではないのだが、そういう付き合いを始めてから、デートの日だとか、何かイベントがある度に何故か、ことごとく雨だの雪だのに見舞われることになっていたのだった。
「そうだな。昔はよく、酷い天気に遭ったときには『この雨男』だの『うるさい雪女』だの、言い争ってたっけな」
「ほんと、今から考えたら不毛よね。バカみたい」
顔を見合わせてクスクス笑う俺たち二人。
二人の仲を羨んだ誰かの呪いか、はたまたお天道様が与え給うた試練なのだろうか。
結局その妙なジンクスは、俺たちの一人娘が誕生するその日まで続いたのだが、その後パッタリ途絶えてしまい、以降はほぼ晴ればかり、たまに雨が降っても必ず途中から晴れるという具合に劇的な変化を見せた。
しかし、あの日のことは今でも覚えている。娘が生まれた瞬間、真っ暗に空を覆っていた雲を割って、太陽の光が地上に降り注いだ瞬間のことを。感動のあまり、思わず泣いてしまったっけな。
俺がそんなことを思い返していると、どうやらこいつも娘のことを考えていたみたいだ。
「……あの娘はどうなのかしらね。短い青春時代を、悔いを残さないようにちゃんと過ごせてるんだか、ちょっと心配だわ」
確かに、気が強くて意地っ張りで素直じゃないところなんかは、まるでもう一人のお前を見ているみたいだよ。まあ、だからこそ可愛いというものなんだがな。それに、見た目も、お前そっくりの美人に育ってくれたしな。
「もう。からかってるんだか褒めてるんだか解んないわよ。それに、素直じゃない点は、あんたも人のこと全然言えないんだから」
しかし、そうなると、例の『彼氏』さんのことなんだがな、お前のことだ、娘から何か聞いてるんだろうか。
「ええ、話を聞いた限りの想像でしかないんだけど、昔のあんたに負けず劣らずの鈍感さんらしいわよ」
何なんだかな。歴史は繰り返すとでもいうことなのだろうか。やれやれだ。
やがて、雨もすっかり上がり、陽が射してきたころ、噂をすれば影、というにしてもはまり過ぎのタイミングで、娘が店内に姿を見せた。――『彼氏』の手を引いて。
「なあ、ハルヒ。今更なんだが――雨宿りっても、もう雨なんかとっくに上がっちまってるぞ」
「なによ、キョン。あんたが疲れたような顔でボーってしてるから、あたしが気を利かせてちょっと一休みさせてあげようってのに、何なのよ、その態度は」
思わず顔を見合わせてしまう俺たち。たまらず二人して噴き出してしまう。
「――って、あれっ?父さんと母さんじゃないの。何で二人がこんなところに……」
呆然とする娘。隣で所在なさそうにまごつく『彼氏』。あだ名かなんかなのだろうかね、その『キョン』ってのは。まさか俺みたいに、本名に関係なさそうってことはないだろうか。もしそうなら大いに同情するね。
「何でって、ハルヒちゃん。あたしたちだってデートぐらいするわよ、ねえ『あなた』。それにハルヒちゃんだってデートなんでしょ、その『キョン』くんと」
「え、な――違うわよ!ご、誤解しないでよね。あたしは別にキョンとなんか」
と口では弁解しながらも、顔を真っ赤にして照れる我が娘ハルヒ。やっぱり親娘だな。その反応は昔の『お前』にそっくりじゃないか。
「さて、俺たちがいても野暮なだけだし、そろそろ退散しないか」
俺の声に少々物足りなそうではある物の肯く妻。娘はあーとかうーとか言葉にならない声を上げている。頭から湯気でも噴き出しているんじゃないだろうか。
「――ハルヒ、あんまりその『彼氏』さんに迷惑かけるんじゃないぞ。それじゃあお二人さん、どうぞごゆっくり」
そう言って俺たち二人は席を立つ。あっけに取られる娘たちを後に支払いを済ませ、さっさと店を出る。
「……ちょっと残念ね。あたしは『キョン』くんと、少し話してみたかったわ」
まあそう言うな。あの二人のことも少しは察してやれ。二人きりの時間ってのを大切にしてやろうぜ。
「なによ、あなただって気になるくせに。それとも、可愛い我が娘に男ができたって現実からそんなに逃げ出したいのかしら」
言ってくれるね。正直俺にはそういった実感はなかったはずなのだが、何だろう、少々寂しいような気もするな。
確かに、ハルヒが俺たちの手を離れて巣立っていくのもそう遠くない未来のことだろう。
しかし、成長というか、娘も随分変わったものだ。思えば中学生の頃は家庭内でも笑ったりすることも無ければ、人前で涙を見せたりもしなかった。俺たち二人は肉親として、大いに悩んだものだ。
それが、今では――なるほど、きっと『彼』のおかげなんだろうな。
『彼』と出会ったハルヒは、この世界から失われていた色彩を全て取り戻したに違いない。俺たちがそうであったように。
「それにしても、さすがにあたしたちの娘ね。『彼』、ああ見えて本人の自覚なしに結構もてるタイプだと思うのよ、昔の『あんた』みたいにね」
そう言って腕にすがりついてくる妻に、いい年なんだしみっともないから止めなさい、とは言わない俺なのだった。
「ところで、さっきの、雨が止むのが勿体無い、ってのはどういう意味だ?」
「だって、雨止んじゃったらあなたと相合傘で歩けないじゃないの?」
晴れの姫君がプレゼントしてくれた雨上がりの青空の下、俺たち二人は昔を思い出したりしながら、腕を組み身を寄せ合い、周りの人々に幸せオーラを放射しつつ家路についたのだった。 |
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以下、作者補足。
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ちなみに自分脳内設定では
父:雷人(ライト) あだ名は『ゴロー』、ハルヒ生まれるまで雨男、阪神ファン、ハルヒ曰く『カミナリ親父』、でも温厚で娘を怒鳴ったことなど無い
母:吹雪(フブキ) ハルヒを生むまでは雨女+雪女、おかげで毎年ホワイトクリスマスでラブラブ、某アーケードゲーマーは無関係
両親が自分たちの名前に対するコンプレックスもあって
「晴れのお姫様になりますように」とか願って名付けたとかいう設定
妄想垂れ流しすまん |
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