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ファーストキスは誰のもの?
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「ではこれから、SOS団全体会議を行います!」
とある日の放課後、俺たちがいつものようにSOS団アジトであるところの文芸部室で、光合成を行うペチュニアのようにだらりと伸びきってくつろいでいたところ、我らがSOS団の団長様であるハルヒが特殊急襲部隊のようにドアを蹴破って飛び込んできた。この元気さにはあやかりたいもんだ。しかしこいつの動力は本当に核融合じゃないだろうな? 力が有り余りすぎている。日本の電力ぐらいならまかなえそうだ。
ハルヒは朝比奈さんからのお茶を一瞬で飲み干すと団長専用の机に飛び乗り、朗朗と会議の開催宣言を行った。そしてハルヒは部屋の中いるメンツを見回すと、ニッコリと100ギガワット級の笑みを浮かべた。やれやれ、今度はいったい何をやらかすつもりだ? それとも俺たちに何をやれと?今度は山へマンドラゴラを探しに行ったり、海に半魚人を探したりするんじゃないだろうな。俺は眉間に指を当てながら、大きな瞳を輝かせているハルヒの発言を待った。
「さて、会議というのは他でもありません。みんなも知っての通り、我がSOS団団則には男女交際禁止との一項があります。ですが、最近あまり芳しくない噂が流れてきたりしているのです」大会の宣言書を読み上げるように、声高らかにそう宣うハルヒ。ていうか、男女交際禁止なんて初耳だが、いつ決まったんだ? と言っても愚問だがな。無論今決めたに違いない。それより芳しくない噂とは何だ? そもそも、そんなものはこのSOS団が存在する限り、そしてハルヒが団長である限り絶えることはないだろうぜ。
そんな俺の疑問を嗅ぎ取ったのかハルヒは俺を一瞥し、再び団員達を見下ろした。「たとえば、中学時代の同級生と付き合っているとか、小学生の妹の同級生に手を出したとか、そういったものです」何言ってんだ、こいつは?しかし、それって……。
―――全部俺じゃないか!!
いや、全くの濡れ衣だと言うことは断言しておくが。
そこまで言い放つと、ハルヒは不気味な笑みを浮かべ、俺を親の仇のように睨み付けた。身に覚えはないのに、脂汗が浮かぶのはどう言ったことだろうね?ひょっとして、これがハルヒの言う発汗作用をもたらす視線か?行儀の悪い子供の見本のようなハルヒは、机から降りて団長席に座るとやや表情を緩め、「この口調も疲れるわね。元に戻すわ」どうだっていいさ。勝手にするがいい。「じゃあこれから、みんなにキスの経験の有無を答えてもらうわよ! 曖昧な答えは許さないから、正直に答えること! いいわね?」
おい、さっきの話とどう繋がっているんだ? あきれるまでの脈絡のなさだ。まあ、付き合い始めたらキスするってのも時間の問題なのだろうし、それならキスの有無をルミノール試験のように、見極める道具にするつもりなのだろうが。しかしこいつの発想の奇抜さにはいつも度肝を抜かれるな。とてもじゃないが真似できん。する気などさらさらにないが。「じゃあ言い出しっぺのあたしからね……といっても、あたしはそういった経験はないから関係ないけどね。……って、なあに、みんなその目は?」ハルヒがそう申告すると、俺以外のメンツがハルヒに対して一斉に疑惑の渦中にいる芸能人を見るような視線を向け、すかさず視線を俺に横滑りさせた。つうか、俺を見るんじゃねえ! もしあの時の事を考えているんなら、俺にはノーコメントとしか言えん。
ハルヒはややたじろいだようだったが、「変なの」とつぶやきながら今度は朝比奈さんに視線を移し、「今度はみくるちゃんね。さあ、答えてちょーだい!」朝比奈さんは、まるでニシキヘビに睨まれたジャンガリアンのようにビクッと体を震わせ、にがりで固められた木綿豆腐のように表情を凝固させた。俺は哀れな小動物を見るようにこみ上げてくる同情心を燻らせながらも、それを遙かに凌駕する好奇心を持って朝比奈さんのお言葉を待った。北校の約半数の生徒は、朝比奈さんの恋愛経験には興味があることだと思うぜ。もちろん俺だってそうだ。「あ、あたしもそんなことしたことありません。エッチなのはいけないと思います」
ハルヒの視線がよほど恐ろしいのか、膝をがくがくさせながらそうおっしゃる朝比奈さん。それでもホッと胸をなで下ろす俺であった。諸君安心したまえ。って、俺は誰に言ってんだろうね?
ハルヒは次に長門へ視線を向け、答えを促したが、長門は「……ない」の一言で返答を終わらせ、すぐさまどう見ても日本語じゃないタイトルのハードカバーに目を落とした。古泉は……どうだって良いのでパスさせてもらおう。それでも、もし朝比奈さんとキスしたことがあると言えば、俺はすぐさま窓から突き落としただろうが。
「さあて、次はキョンの番ね。さ、答えなさい!」尋問することが三度の飯より好きそうな古参刑事のように、心理的に迫ってくるハルヒ。だがあの時のことを言うわけにもいかず、だからといって即座に否定すればいいのに、わけもなく咄嗟に嘘がつけなかった俺は、一瞬だが躊躇してしまった。しかしそれを見逃すハルヒではなく、儲け話を追い求める投資家のように目をギラギラさせて俺を凝視し、「ちょっと、キョン。なんで黙ってんの? さっさと言いなさい!」
俺は停止していた置き時計が再び秒針を刻み始めるかのように、、「……俺もそう言った経験はないな」すでに泥沼に足を踏み入れてしまったことを感じながら、あまりに遅すぎるその答え。じろりと俺に疑惑の目を向けるSOS団総員。……いや、こういう場合はフォローしてくれ。とくに古泉。閉鎖空間を生み出して欲しくないんだろ?
「嘘ね。あんた、何か隠しているでしょ?」ハルヒはまるで、フェイズドアレイレーダーのように敏感に俺の嘘をいともたやすく察知する。何でこんなときだけ異様に鋭いんだろうな?
そこで俺は、咄嗟に上手い言い訳がないものかと脳内コンピューターからの検索結果を待ちわびた。だが、出ない……。どうする? ……やむを得ん、あの手を使うか。「実はな、こんなこととても言い出せなくて躊躇っていたんだが、昔、妹にイタズラでキスされたことがあるんだ」「なんですって!?」「こんな間抜けな体験では言い出しにくくてな」もちろんこれは俺の口から出任せで、全くのフィクションだ。ベストではないが、ベターな答えではあろう。それに相手が妹となれば、被害は最小限ですむはずだ。だが、当然ながらと言おうか、予想もしなかったのだろう、これにはハルヒをはじめとして、そこにいる全員が呆気にとられたような表情を浮かべた。
「……ふうん、本当かしらね?」ハルヒは、まるで苦しい弁明を行う国会議員の会見を見るような疑いの眼差しを俺に向けた。やはり鋭い。それとも俺の嘘に無理があったのかもしれない。
ハルヒは、屋根裏から隠し所得を見つけ出した国税庁の査察官のような表情で、「それなら、妹ちゃんを証人喚問しましょう。真実はいつも一つってね。さあ、あんた家に行くわよ!」止めようとは思わなかった。いや、止められとも思わなかった。理由は述べるまでもなく、言いだしたら聞かないやつだからである。それに俺の気力と体力と精神力と時間を浪費するだけなのだからな。やれやれ、後で妹と口裏を合わせておこうか……。ともあれ、かくしてハルヒ率いる査察団は、証人の確保に出向くことになった。
ハルヒを筆頭とするSOS団構成員は、全てを押し流す濁流のように大挙してマイハウスに押しかけてきた。そこでリビングのソファで寝そべっていた妹を俺の部屋に任意同行を求め、証人喚問の準備は完了である。俺たちは部屋に立ち入ると床に適当に腰掛け、妹はといえばベッドに座って、これから何が行われるか興味津々の笑顔を浮かべながら足をぶらぶらさせている。ちなみに、俺は妹と口裏を合わせようと何度か試みたんだが、ハルヒの堅いガードによって完全に阻止されたことをここに報告しておく。
さて、俺の母親から出されたお茶と茶菓子を胃袋に納めたところで、ハルヒは証人喚問の開始だとばかりにやおら立ち上がって妹に顔を向け、まるで証人に質問する検事のように、「さあ、妹ちゃん。これからあたしが尋ねることを正直に答えてくれるかしら?」「うん、いーよ!」妹は1秒たりとも考えた風もなく、まるでパブロフの犬状態だ。無邪気なもんだ。だが俺は、まるで要塞に対して銃剣突撃を命じられた一兵士のような絶望的な心境で、それを見守るしかなかった。
「じゃあ、妹ちゃん、単刀直入に聞くわね。あなた、キョンにイタズラでキスをしたことがあるって聞いたんだけど、それ……本当?」まさにその時、俺の脳裏に死へのカウントダウンを告げる鐘の音が聞こえたような気がした。だが、しかし……
「うん、本当だよ」
何の邪気もなさそうな笑顔で、あっさり肯定する我が妹。
―――って、本当なのかよ!?
「な、なんだってー!?」
どこかのトンデモマンガのように全員で声を合わせそう叫んだ。しかし、他のメンツはともかくハルヒも信じてなかったらしいな。ていうか、俺が一番驚いているんだが。『嘘から出た誠』とはよく言ったもんだ。
「ちょ、ちょっと妹ちゃん。それはいつ? どうやって? どうして?」そんなに動揺することもないだろうに、ハルヒは畳みかけるように妹に問い質した。「えーとね……1年ぐらい前かな。朝キョンくんを起こしに行ったんだけど、寝顔がとってもかわいかったから、ついしちゃったの」妹は、奔放な私生活を平然と告白する女性タレントのようにあっけらかんとそう言い放った。しかし、妹にかわいいと言われる兄貴ってどういうもんだろうね? 情けなさ当社比130%増だぜ。
……いや待て、そんなことは些末な問題だ。それよりも……。
―――俺のファーストキスの相手は妹かよ!!
ならハルヒであればいいのかと問われれば、返答に窮するのは間違いないが、それでも妹が相手では、少し落ち込みたい気分だぜ。「妹ちゃん、それ本当なの?」ハルヒは驚きを隠せない表情で妹を見つめ続けていた。まるでどういう反応をして良いかわからないといった様子だ。
それでもやや立ち直ったのか、ハルヒはスローモーションのように床のクッションに腰を下ろした。しばらくの間、沈黙が部屋を覆い尽くした。
だがそれもつかの間、妹は何かを思い出したかのように再び口を開いた。「でもねー、ハルにゃん。キョンくんはあたしより前にキスした人がいるんだよ」またも爆弾発言。何を言い出すんだこいつは……?俺はまるで、体内の血液がほとんど吸い出されてしまったかと思えるほど急速に血の気が失せ、鏡がもしあれば真っ青な顔をしているだろうほどに立ち眩みがした。妹のやつ、まさかハルヒだというつもりじゃないだろうな? いや、そんなわけはないか。こいつと1年前にキスしたというのなら、その前といえばまだハルヒと出会う前だ。じゃあ、誰だ?
ハルヒは妹の言葉を聞いてわなわなと体を震わせ、信長への反逆を決意した明智光秀のような目つきで俺を睨め付けながら、「妹ちゃん。それは誰なの?」「うーんとねえ」何かいやな予感がする。天気予報を見ずに曇天の中不用意にも外出してしまった気分だ。
「難しいしゃべり方をするお姉ちゃんだよ」
俺の知っている人間で、難しいしゃべり方をする女なんて該当するのは一人しかいない。それは……
「佐々木……か」
俺のつぶやきを耳にしたハルヒは、立ち聞きをしてしまった家政婦のような表情で、「な、なんですって!?」
再び驚愕の声がその部屋にこだました。ハルヒはギロリと、視線だけで人を殺せそうな迫力で俺を睨み付けた。つまり俺の命は風前の灯火だ。「ちょっと、キョン。いったいこれはどういう事よ!?」「落ち着け、ハルヒ。どういう事だと言われても、俺には全く身に覚えがない。いや、本当だ。……おい、どういう事か説明しろ! 当事者であるはずの俺が知らなくて、何でお前が知っているんだ?」
俺は必死の思いで妹を問い質した。まだ、死にたくはないからな。すると、妹は種明かしをする名探偵のような得意げな表情で、「キョンくん。去年の冬頃、あのお姉ちゃんが、塾に行こうって迎えに来たことがあったでしょ? でもその時キョンくんまだ寝てたから、お姉ちゃんも起こしに部屋に来たんだよ」
そうだったか? 俺の記憶では、リビングのソファで待ってたような気がするんだが。まあいい。それで?「うんそれでね。お姉さん、キョンくんの部屋に入ったんだけど、まだベッドで寝ているキョンを見つけて、起こすことも忘れて興味深そうにじっと上から見つめていたの」なんだか恥ずかしくなるな。佐々木に俺の寝顔をじっと見られていたのか。それとは相対的に、ハルヒの顔つきがこの世の終わりといったぐらいに険しくなっているのことに非常に戦慄を覚えるが。
「あんまりじっと見ているもんだから、びっくりさせようと思ってついお姉さんを上から押しちゃった。……テヘッ!」
『テヘッ』じゃない! 何を言いやがりましたかこの妹は?
……つまりこいういうことか。上から妹に押された佐々木は、必然的に下で眠っている俺と粘膜同士の接触してしまったわけだ。しかし……だ。
―――俺は佐々木とファーストキスをしてしまったのか!?
……これは今すぐここから飛び降りてしまいたい。若しくは地面に穴を掘って、マントルまで進んで溶けてしまいたい気分だ。だがそれにしても、あまりにもロマンに欠けるシチュエーションだ。なにより俺に全く記憶も実感もないということがいかんともしがたい。それならロマンチックなシチュエーションで佐々木とキスしたいのかと言われれば、企業秘密と答えるしかないのだが。それに俺の人権が著しく妹に蹂躙されているように思うのだが、誰か俺を救済してくれないか?
それにしても、こいつは悪魔か? なんてことをしてくれるんだ。「お前、自分が何をやったか分かっているのか? 俺は別にどうだって良いが、佐々木のファーストキスを台無しにしてしまったんだぜ」「……ごめんなさい。でもね、お姉ちゃん、あんまり嫌そうじゃなかったよ」妹は謝罪の言葉を述べてはいるが、どちらかというと善行をした後のような表情を見せている。反省の色が全く見られない。
ハルヒの方を見やると、ドッキリにしてやられた芸能人のような表情で、「そ、それで妹ちゃん。その時の佐々木さんの様子はどうだったの?」「うーんとね。お姉ちゃん、ちょっと顔が赤かったかな。それに何度も自分の唇を指で触ってボーっとしてた」「……へ、へえ、そうなの?」赤くなった佐々木なんて、俺には想像できないな。佐々木でも動揺することがあるのか。
そうか。それであの時、リビングで待っていた佐々木は俺と目を合わせなかったのか。ようやく理解できたぜ。だが何だ。この部屋でひしひしと感じる不穏な空気は……?見ろ、朝比奈さんがぶるぶると震えていらっしゃるじゃないか。
「キョン。いったいこれはどういう事よ? 佐々木さんとキスしただなんて!」ハルヒは夢想転生さえ使いこなせそうな闘気を放ちながら俺を問い詰めた。しかしなぜ俺が責められるんだ。「ハルヒ、お前も今聞いただろう? あれはまったくの不可抗力であって、俺にはどうすることも出来るわけないってのはわかるだろうが!」
「ふーん、どうかしらね。本当は寝たふりをしていたんじゃないの? わかったもんじゃないわ。起きてりゃ、咄嗟によけることも出来たはずだもんね」ハルヒは腕を組んでアヒル口をしたまま、しかし俺の意見などまるで取り合おうとしない。めちゃくちゃだ、この団長様は。「あのな、お前はいったい何を考えて……いや、まあいい。じゃあ、俺にどうしろって言うんだ?」「ふん。自ら罰ゲームを受けようっての? 中々殊勝な心がけじゃない。……そんじゃあ、今度の土曜日に佐々木さんを呼びなさい。そこで第二回目の証人喚問を行うことにするわ」
ハルヒは、まるで蜀を陥れる計略を考案した司馬懿仲達のようにニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
それを見るに付け、今ここで罰ゲームを課されるよりも、さらに身の毛もよだつような恐ろしいことが起きそうな予感がリアルにするのは、別に俺が超能力者だからというわけではあるまい。地震の予兆を感じる小動物のような、本能に基づいたものさ。それでも俺は救いの手はいないものかと、部屋の中を見回してみた。しかし、古泉は困った表情。長門は無表情。朝比奈さんはおどおど。とてもじゃないが俺を助けてくれそうにない。まあ、下手に関わってとばっちりを食うなんて事にはなりたくないだろうが。
結局、俺は否応なしに佐々木を誘うことを承諾させられ、精神力と体力を限りなくゼロに近づけながら、不機嫌そのもののハルヒと古泉たちを見送った。その後俺は部屋に戻ったのだが、さすがに今日は疲れ切っていて佐々木に誘いの電話を掛ける気にもならず、今回の騒動の張本人である妹を怒る気力さえなかった。俺はダイニングで夕飯を食い終わると、冬眠の途中で起き出してしまった熊のようにそそくさと部屋に戻り、ベッドに入る事にした。
だがベッドで横になると、突然あることに考えが至って俺は死にたくなるように身悶えした。
それは、だ。いくら不可抗力とはいえ……。
俺は3人の女のファーストキスを奪った男ということになるのか!
俺の心の中に激しい後悔と、説明し難いモヤっとした感情が燻った。だがそれと同時に、俺の脳裏に理由もなく顔を赤らめた佐々木が浮かび上がり、なぜ急にそんなことを思い浮かべたのかと戸惑ってしまった。俺はそのモヤモヤの正体がわからないまま、それを振り払うかのように頭を振り、合わない歯車を無理矢理合わせるように目を閉じた。しかし眠れそうにない。……どうやら、長い夜になりそうだ。 |
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